ジャニオタの戯言

うつむくその横顔も ふと見とれてしまうから

愛はどこからやってくるのでしょう

 

 

そもそも私は京本大我の何にそんなに惹かれているのだろう。
顔の良い男なんて芸能界には数多といるし、もっと歌が上手い人、ダンスが上手い人、アイドルとして突き抜けている人、探せばきっといくらでもいる。

 


ぶっちゃけ顔がドストライクなのは確かにそう。二宮和也堂本光一神木隆之介本郷奏多小関裕太天祥院英智九条天の推しラインナップをご覧いただけると早いと思う。しかし私としたことが、大我のおフェイスがドストライクであることに気付くまでにはかなり時間がかかっていしまった。

 


私が大我を初めて認識したのは彼が中3の頃でちょうど私が嵐とJUMPを推し出した頃(私は中2)。そのくらいの時期にJUMPを推していた人間は大多数そうだと思うんだけど、SixTONESのメンツ当時から全員認識してたくない?だってJUMPのバックにだいたい誰かしらいたもん。
慎太郎は龍太郎の弟だしJUMPが好きだからNYC boysも履修してるしつまりB.I.ゆごほくは完全認知の対象だし少クラとかヤンヤンJUMPとか百識王なんかで大我ジェシー樹もよく目に触れる存在だったんだよね。
でもこの時の私の大我に対する印象って実はあまり良くはなくて。『うわ~こいつスカしてる~』って思ってたwwwごめんwww中性的な顔立ちで体つきも華奢で可愛い系キャラの方がしっくりくるのに妙にクールぶっててかっこつけててチグハグ感を感じていたというか・・・そこに嫌悪感抱くあたりは『あの頃は私も若かった』としか言いようがない・・・(こんなことを言えるのも今私が奴にゾッコンだという事実ありきのアレ)

 


ともあれ、バカレア抜擢はかなりナイスな人選だと思った。大我へのイメージは初見時から特に変わってなかったけど、揃えられたメンツと不良モノドラマであることを踏まえれば大我チョイスはナイス采配でしかなかった。(現実軸でグレる要素持ち合わせまくりなメンツで不良モノをやることに沸いていた若かりし日の俺)
6人に対してなんとなくJUMPの弟分的に勝手に感じていたことやシンプルに“バカレア組”の空気感が好きだったことでなんとなくバカレア組は遠目で応援してたんだけど、この時点ではまだ大我の顔がドストライクであることに私は気付いていない。

 


バカレア組が解体されたとこまでは把握してたけど、この辺で一度ジャニオタを離脱しているので、SixTONESとして再始動していることを知ったのは結成から1年以上経ってから。これには鳥肌レベルの興奮を覚えたけどこの時点ではまだ大我の顔がドストライクであることに私は気付いていない。

 


Youtubeチャンネルが開設されてからはちょいちょい動画を見るようになった。昔から6人のなかでは北斗ジェシー推しだったのでそこ中心で見てた。さすがに私も大人になってるしあの頃感じていた大我への嫌悪感はもうない。しかし特に沸くポイントもない。そう、なんと恐ろしいことにこの時点ではまだ大我の顔がドストライクであることに私は気付いていない。本当に恐怖。お前の目は節穴ですか?

 


私も大人になってるし大我も大人になっていて、あの頃の変な尖り方はもう見られなかった。マイナス要素は払拭されている。そこであのパーフェクトフェイスときたら私に刺さりまくること間違いなしだろう。にもかかわらずまだ気づかないとは何事か。私には大我が見えていなかった。というか、ピントがうまく合っていなかったんだと思う。なぜなのかは分からない。なぜだかは分からないがピントが合わないというある種の呪いにかけられていた。

 

私の初代自担は二宮和也であり、これ以降私の推しを察知する能力はそれはそれはすさまじい成長を遂げた。自分の中で『ドストライクフェイス』というものが完全に確立され、ハマるまではいかなくとも対象が自分のドストライクフェイスに合致するか否かを見極める瞬発力においてはウサイン・ボルトの瞬発力にも引けを取らないほどだ。

 

その私が、数々のドストライクフェイスを見極め鍛錬を積んできたこの私が、京本大我においては能力が作動しなかった。これはどう考えてもなんらかの呪いだ。誰なんだいったい。

 

 


ある日突然ピントが合った。
完全なるゼロズレ。ジャポダンス動画。奴が目の前に現れた。いや突然見え出した。京本大我が見えるようになった。あの高揚感は私の貧弱なボキャブラリーでは到底表すことはできない。『あ、好き』と思った。無理だった。

 

踊り方が好きすぎた。超素人だし専門家でもなんでもないしダンスの知識もクソもないけど感覚的に『好きだな』って踊り方あるじゃん。しかもあの顔であの体形であの踊り方っていうのが脳天を直撃してきた。視覚から得られるすべての情報が『好き』に化した。中性的でしなやかで繊細な美しい動作、それらにマッチしすぎる美しきおフェイス、やや無機的に見てとれる表情、色白、金髪、華奢、全てに『好き』と思った。

 

このときようやく気付いた。

京本大我、めちゃくちゃドストライクフェイス........

 

 

ジャポのフォーメーションの構成もずるかった。

ここで動画をご覧いただきたい。

 

youtu.be


現れるんだよね。まじで。構成が、さ。道が開けて、もう奴しか見えないような、全人類がそこにしか目がいかないような、そういう現れ方では????(主観)ドラマチックすぎない????現れるべくして現れたみたいな、光が差したみたいな、ここから俺たち始まるんだぜみたいな、だって実際ここから始まったわけで俺たち・・・(※ここでいう“俺たち”は大我と私を指す)


この動画に出会い、すべての動画を見返した。2日間くらいで全部見たと思う。ある程度動画の本数が上がって以降スト担になった方々にはお分かりいただけると思うんだけど、この現象まできたらもう終わりじゃない?終わりっていうか始まりなんだけど、終わりだよね。術中に入ってしまっているというか、認めざるを得ないというか。

 

ジャポダンス動画に出会う前も何本か動画は視聴済みなはずなのに同じ動画でも全然違った。大我に対してピントが合う前に見たのと、ピントが合うようになってから見たのとでは、全然違った。元々はダンスと容姿の美しさに『好き』を感じたのに、好きだと認識して以降、それ以外に知っていく全ての要素が『好き』に転じた。同じ動画なのに、喋ってることも同じなのに、最初に見たときは何も思わなかったのに、最初に見たときは感じなかった『好き』を全ての要素に感じたし全てがもう可愛かった。もうダメだった。


好きになったらもう全部を好きになっちゃうよね。全部が好きなのよ。私の場合、『好きになったきっかけは?』と問われれば『ダンス』『容姿』と明確な答えがある。でも『いま彼の好きなところはどこですか?』と問われたらもう『全部』としか言いようがないよね。だって全部好きだから。きっかけは間違いなくダンスと容姿なのに、いま好きなところがそれ以外すべてを差し置いてダンスと容姿かと言われれば決してそうではない。歌が上手いのもストイックなところも真面目なところもちょっとズレてて可愛いところも見た目に反して男らしいところも、言ってしまえば全部『好き』の後付けでしかない。後付けで好きになった要素なのに、今やダンスや容姿に匹敵するくらいどれも好きなところになってしまっている。新しく知っていくあらゆる側面、全部好きになる。


本来ならばマイナス因子になるであろう運動神経が悪いだとか私服がダサいだとかいう要素も、好きだから、可愛いと思ってしまう。これは・・・・・・恋?


だってほらみんな思い出して?こういうのを恋っていうんじゃなかった?

 

なんとなく気がある二人がいて、なんとなく約束して、夜になって、食べて飲んで、どうする?となって、今日あたりいけるとお互いが暗黙の打ち合わせをしている。大人になればこんなのは恋愛としてはスタンダードな部類で、確かにこれも恋なんかもしれんが、

知れば知るほど好きになって、全てが好きで、もはや何を根拠に好きかも分からないような、理屈じゃなくて、似たような要素を持ってる人はほかにもいるけどそうじゃなくてそれじゃ違くて、っていうこういうのが恋なんじゃなかったっけ~~~~~~????

 

いや、でも私は大我にはリア恋などは感じてなくて、まぁいい大人だし、付き合いたいとか結婚したいとかガチで思ってるとかでも別になくて、そうじゃないんだけど、でもこれは、『好き』の工程だとか言いようもないトキメキだとか、そういうのは感覚としては、恋・・・・・・・・・では?少なくとも、『この人ならまぁ・・・予選通過かな』みたいな感じでスタートさせるようなそれよりは圧倒的に『恋』では?(自ら心をエグっていくスタイル)
なんかもう何言いたいのか分かんなくなってきたな。

 


ちょっと前にTLに流れてきたアンケートに『好きになったきっかけ』『自担の好きなところ』『応援スタンス』などを問う項目があって(なんかそういうアンケ一時期多数流れてきた気がする)、結構マメに答えてたんだけど、『好きなところ!?!?へ!?!?全部なんですが!?!?選べない!!!!』となったことからこのブログを書いています。応援スタンスっていうのは、リア恋か崇拝か友達感覚か~、とかそういう感じのアレです。リア恋ではないけど感覚として恋ではあるのかもしれない、と思いました。

 

(この手のアンケートに答えてるときってやたらと脳内でペラペラ喋ってる気がする。そんで後になって全て忘れる。() その脳内一人おしゃべり大会を今文字起こししているところです。)

 


SixTONES京本大我が好きなんだよねって話をすると、どういうところが好きなの?とか何がきっかけで好きになったの?とか非オタの方々からもしばしば問いかけられるんだけど、あの質問まじで困らない?だって好きなところ『全部』だもん。全部を説明するの、まじ鬼じゃない?きっかけとかもさ、自分の中で壮大なストーリーとして膨れ上がってるから、ちゃんと説明しようとすると初代自担が二宮和也であることや中学時代JUMPを推していたところから説明しだすので説明が永遠に終わんないのよ・・・まぁ相手は非オタだし、ってことでいつも適当に手短に説明すんだけど、自分としては不完全燃焼だよね。
私の喋り、まじでとっ散らかってんな。大丈夫か?

 


冒頭の『そもそも私は京本大我の何にそんなに惹かれているのだろう』への解が結局『全部』で着地するという。まるで小学生が好きな子の好きなところ聞かれて『全部!』って答えるみたいな。でも結局そういうことなんだよね。大人になって、『全部』を構成するひとつひとつの要素を細かく言葉で説明できるようになっただけで、好きな人の好きなところなんて『全部』なんすよ、結局。

 

とは言っても私の歴代推しにかなり一貫性がある点を見ればやはり『こういう人を好きになる傾向にある』ってのはありますね。全員に共通して言えるのは......うーん.....容貌の系統?ではあるんだろうけどそこから『顔まじ推せる...』にとどまるか『あ〜〜〜〜全てが好き〜〜〜〜』まで至るか分岐するポイントは.........なんなんでしょうね。(いい加減にしろ?)(冒頭の〜の段落で締めようと思ってたのに急に脳内で別の奴が喋り出して収集がつかない)

 

ダンスに魅せられたことでドストライクフェイスであることに気付き『あ、好き』となったということはやはり見た目における比重はかなり大きい。あの見た目じゃなかったらここまで好きになってなかったかもしれない。

あれ?これもしかしてあれかな?『見た目が好きじゃないと中身まで見ようと思わない』。え????嘘でしょ????ここにきてこの世の真理に辿り着いちゃったじゃん......え........私の『好き』はこの世の真理に基づいたものだったの......?そうか.........まぁそうなんでしょうね...

 

まぁここは潔く認めましょう。

見た目がドストライクであることはマストであると。(私の場合)

 

でもこの先はやっぱ説明できるようなもんじゃない気がする。『あ、好き』が全てでは?何がどうなって具体的に何が『あ、好き』なのかは説明できないわ。でも、あの衝動的で高揚感に満ちた『あ、好き』が生じてしまったらもう、その後知っていく全ての要素に好きと感じてしまう。もう終わり。終わりの始まりだ。

 

 

もし超私好みのダンスをする人がいるとして、超ドストライクフェイスだったとして、ストイックで真面目でだけどお茶目なところもあって中性的な見た目に反して男らしいところもある性格だったとして、かぎりなく大我に近い要素を持ってる人がいたとして、そしたら私はその人のことを好きになったのかな?じゃあジャニーズにいなかったら?

 

たぶんジャニーズじゃなかったらそこまでハマらんと思うのよね、そもそも。

もしジャニーズに、かぎりなく大我に近い要素を持った大我じゃない人がいたら、『顔まじ推せる...』には至ったかもしれない。もしかしたら『あ〜〜〜〜全てが好き〜〜〜〜』にも至ったかもしれない。

でも、今私が大我に向けるものと全く同じ『好き』では絶対にない。

 

そう思うと、あの顔あの性格あのダンスあの声その他諸々の大我を構成する要素を『京本大我』に宿した"運命"には感謝しかない。

『ぼくは運命から君を守りたかった』と英二はアッシュに言ったけれど、私はその運命ってやつに感謝してるんだ。(隙あらばBANANA FISH語り)

 

まじで私は何の話をしている?

論点isどこ?

 

 

人が人に惹かれる理由なんてそんな理路整然と説明のつくもんじゃねぇってことですね。(オチがクソすぎない?)

 

 

まぁ今後も私は『好きなところはどこですか?』と問われれば全ての項目にチェックを入れますね。適当で答えてるわけではなくまじで全部が好き。大我の、まじで全部が好き!!!!!!大丈夫かな私。先月25歳になったんだけど好きなアイドルに対して大真面目に『まじで全部が好き』とか言ってて大丈夫かな。まぁええか。
(※ここでいう『全部』というのは、私が知り得る範囲でのアイドル京本大我の全部、です。)

 

 

ここからは完全に余談なんですけど、
20歳越えると一旦どっかで『え、愛ってなに?』の壁にぶちあたるじゃないですか。
特に我々のように本気でアイドルに愛ぶちかまし系オタクは、現実世界で生じる愛への疑念とアイドルに対する愛への確信との狭間で揺れに揺れて愛が迷子になりません?私だけかな。
会いたいがために超過密スケジュールでも飛んで会いに行ったり、手間暇かけて動画作ったり、祝い事に凝ったケーキ作ったり、こうして愛を綴ったり。全てめちゃくちゃ『愛』では?結成日もデビュー日も誕生日も全力でお祝いして、大切な人の大切な日が自分にとっても心底大切な日で、これは紛れもなく『愛』でしょう?

 

これほどの愛を経験できることに尊さを感じるとともに、この先これ以上の愛を見つけられる自信がない。現実世界における愛とこの非日常世界の中で注ぐ愛を並列に考えるのもアレなんだけど、にしても『この人ならまぁ・・・予選通過かな』みたいな感じでスタートさせるようなそれははたして愛か?そのうち愛に育つんかもしれんがそれまでの時間を尊ぶことができるだろうか。このような愛もどきよりも、アイドルに対して生ずる愛に時間を費やす方がよほど楽しく感じてしまう。(これは完全に私個人の話なので、現実世界でも尊い愛を見つけられている方はもちろんたくさんおいでるんだろうが)
私こんなんで大丈夫か?と思いつつ、まぁ別にそれはそれでええやん?とも思ってる。

 

 

(愛とか人生とかこの世の真理についての話を友人とよくするんですけど、まぁ今は世の中がこんな感じなのでそんな話をできる友人とも会えておらず、そういう話をちょっとしたくなりました。)

 

 

 

 

まぁ要するに、

・大我の好きなところ:全部
・最終的に愛

ってことですね。

 


終わりま~~~~す!!!!

アアイッ!!!!!