ジャニオタの戯言

うつむくその横顔も ふと見とれてしまうから

私とジャニーズ。~KiniKi Kidsに落ちるまで~

 

2019年12月15日。

私は生きる神話の目撃者となる。

 

この歴史的な瞬間を体感する前に書き留めておこうと、今さらながら沼落ちブログを書きました。ただの備忘録です。

 

 

『KiniKi Kidsに落ちるまで』を語るうえで『私とジャニーズ』は切り離せないため、物語はジャニオタ戦士としての覚醒篇からスタートしますが悪しからず。

 

さらに注意書きをしておくと、実は先日別のグループで沼落ちブログを書きました。思った以上に楽しくて、「KinKi Kidsでもやりたい!」と思ったのもこれを書くに至った理由の一つでもあります。なので先日書いたブログと重複する部分がかなりありますがその辺も悪しからず・・・

 

 

 

 

さて本編。(やっと)

 

ジャニオタとなる前から元々ジャニーズには好意的な人間だった。周囲の友人たちが皆そうだったので、当時はジャニーズに好意的である自覚すらなかったが、思い返せば昔から割とジャニーズが好きだった。山Pが出てるドラマは全部見てたし探偵学園Q単発ドラマの時点で山田涼介という逸材を見つけ出してたしファンでもなかったのにKAT-TUN6人時代のシングルは全部分かった。いつメン(もしや死語か・・・?)は皆ジャニオタ予備群みたいなもんだった。これが私の小学生時代。

 

 

 

2008年、友人Aが中島健人に、友人Bは山田涼介に落ちた。(突然の西暦表記)(ちなむとスクラップ・ティーチャー)
これは我々のこれまでのような緩いスタンスではなく、ガチのやつだ。ジャニオタ予備群だった我々のもとから正真正銘のジャニオタ戦士が誕生した。

この人達とずっと一緒にいたのでこれまで以上にやたらジャニーズごとに詳しくなった。さらに言うと部活の1個上の先輩は全員もれなくエビキスの誰かしらの担当だった。(そりゃ詳しくもなる)

我が家はBSが映らない家だったが友人宅へ遊びに行けば少クラ鑑賞会が催された。Jr.たちの歌う曲にはKinKi Kidsパイセンのものも多く含まれ、曲の良さは周囲のジャニオタ戦士お墨付きだった。当時の我々にはKinKi Kidsの魅力を理解しきるのは幼すぎたが、それでも周囲の戦士たちは皆口をそろえて「KinKi Kidsは・・・曲がいいんや・・・」と言っていたのを思った覚えている。(マセガキJC)

 

時は流れ2009年秋、我々の中から新たに真のジャニオタ戦士が誕生する。
私だ。

さて2009年がいかに歴史的な年だったか、皆さんはもちろんご存知でしょう。
そうです嵐が10周年を迎えた超絶スペクタクルなAnniversary year・・・・・・
かくかくしかじかで私は二宮担となる(長くなるので割愛)。
二宮和也は初代自担であり、私をジャニオタにした男。(結婚おめでとう(血の涙を流す絵文字))

 

ここから私はジャニオタとしての人生をスタートさせてしまう。
ジャニオタのやばさは、沼への落ち方を知ってしまうところにある。あの快楽を知ってしまうのはやばい。だってめちゃくちゃ楽しいから。そして『やばい沼に近づくとやばさを察知する』スペックを身に付ける。しかしこのスペックこそが厄介。やばい沼と察知していながらなぜか軽率に自らすり寄っていく副作用がもれなくついてくる。
そしてやばい沼は案外近くに身を潜めている。
JUMPに落ちた。(今さら)
これはもう完全に友人Bのせいである。
ある日突然有岡大貴がかっこよく見えてしまった。(2010年3月14日)

 

中学時代、私は嵐担兼JUMP担として十分にジャニオタを謳歌した。

さらに言うと嵐と仲のいい関ジャニ∞もちゃっかり履修し(大倉推し)、関連動画からNEWSも履修。友人宅で少クラを見ていたのでJr.にも推しがいた。中学時代はまさに、私のジャニオタ全盛期。

 

 

 

しかし高校生になり状況は一転。

中学時代ジャニオタ戦士として共にした友人はそれぞれ別の高校へ進学。高校時代、私の周りはLDHの民だった。肩身が狭くジャニーズ話はなんだか躊躇われた。ジャニーズ=ダサい、の風潮。そこで私にシャレオツな沼が差し迫ってきた。正解です、Justin Bieberです(まさかすぎる)。徐々にジャニ沼から身を引きはじめ洋楽ばかり聴くように。(主食はJBと1D)

推しJr.の面々がメインを張るドラマを視聴し歓喜していたのが私の第一次ジャニオタ期の最後である。彼らの物語の終焉と伴うように、私はジャニーズから足を洗った。

 

 

 

あれから4年弱の月日が流れ、時は2016年。

キャンパスライフを存分に楽しむことで忙しかった私はこの当時どこの沼にも身を置いていなかった。

 

しかし沼は着実に私のもとへ近づいてきていた・・・

 

大学で実習班が同じになった子にジャニオタ戦士がいた。彼女は本物だった。久しぶりにガチでジャニーズを語れたのが楽しくて楽しくてしょうがなかった。

この時、以前推していたしかし自然消滅していたJr.のユニットが、再度同じメンバーでグループを組んでいるという事実を知る。

衝撃だった。

だってこんな鳥肌案件なかなかない。やっぱりジャニーズって最高じゃん、って思った。かつて自軍のメンバー脱退や活動休止という名の事実上のグループ解散などを経験し本気になればなるほどその悲しみも深いことを知っていた私は、もう深く推すことが怖かった。だけど情報だけは追いたい、ということでジャニ垢を設立。推してた各Gの大手垢をまんべんなくフォローした。

 

 

ジャニーズを緩く追い、ぬるっとジャニオタやりながらも、もう戦士には戻らないつもりだった。
しかし2017年がやってきてしまう。
Hey!Say!JUMP10周年・・・
熱量は違えど、一度愛した推しは一生特別。アルバム購入。
トビラの向こうが収録されていた・・・
初期の頃に歌われていたにも関わらず長年音源化が叶わなかっただけど大好きだった曲。10年の時を経てようやく音源化。やっぱりジャニーズって最高じゃん・・・これだからジャニーズってやつは・・・
逆にジャニーズという学問を広げたくなってしまった。
そこで私は気付く。

2017年はKinKi Kidsパイセン20周年の超絶スペタクルAnniversary year。
「あれ?私ジャニオタやってたくせにKinKi Kidsパイセンのことあんま知らんくね?(唐突)」

いやもちろん名曲たちは存じていた。KinKi Kidsパイセンが凄い方たちなのは知ってただってジャニオタだったから。嵐がJr.の頃よくバックについてた超偉大な先輩。我らが山田涼介の尊先とする光一くんだそりゃ素晴らしいお人だろうよ。少クラでJr.の子たちが歌っていた曲どれも神曲だった。こんだけジャニオタやっててKinKi Kidsの凄さを知らないわけがない。良曲持ちで歌がうまくてMCが長くて面白くて後輩からの信頼厚くて、光一くんは正月に生まれし毒舌な王子様で、剛くんは超絶歌ウマ天才肌な変わった人で・・・あれ?待って私、

KinKi Kidsのこと全然知らない。

これはジャニオタとしてどうなんだ?こんなんで私ジャニオタ名乗ってていいんか?いや良くない(反語)。せめて曲くらいはもっと知っときたい。とりあえずアルバムレンタル。何から聴けば全然分かんねぇけどその辺にあったやつ2枚借りた(足りんわ)。今年(2017年当時)はなんてったって20周年。超絶スペタクルAnniversary year。テレビ露出も増えるだろう。KinKiが出るやつはとりあえず全部録画した。

可愛い・・・

KinKi Kidsは可愛かった。

ジャニ垢の方でとんでもない動画が回ってきた。ここについていたタグがそう

#動画だけでKinKi沼に引きずり込もうキャンペーン

おそろしかった。

危険だと本能がそう言った。中学時代あれだけKinKi Kidsは凄いんだと言いながら誰も深く知ろうとしなかったその理由の一つを垣間見た気がした。絶対に踏み入れてはいけない沼だと、私は学問として履修しているだけで沼には絶対にハマるまいと、そう認識を新たにした。

 

KinKi Kidsのやばさの片鱗に触つつあったこの頃、悲しい報を受ける。

堂本剛 突発性難聴

だって、20周年のこの記念すべき年に、盛大に祝福されるこのときに、イベントやテレビ出演も決まっていて最高潮であるこのときに、こんな残酷なことがあるかよ。大してファンでもない私がこれだけ気落ちするのに、本人らやファンの方々はいったい・・・としんどくなった。

出演予定だったフェスがキャンセルになったことにいっちょ前に悲しんだ。

MUSIC DAYの番組出演者欄には『堂本光一』の表記。そうだよね・・・KinKi Kidsじゃなくて堂本光一・・・それでも、一人でも出演決めた光一くんが、KinKi Kidsが、めちゃくちゃグッときた。バックには相葉くんと松潤。信頼関係に泣いた。

でもなんか衣装がアレでは・・・?中に着てるシャツ、なぜその色味?赤一色とか青一色は分かるけどその2色組み合わせるのwこれ思ってるの私だけ?wとTwitterで検索。

泣いた

さっきまでの自分めった刺しにしてやりたい。オタク、そういうのに弱い。KinKi Kidsって・・・やべぇな・・・気を付けなきゃ・・・

 

さらにいつぞやかにふと見た朝の情報番組。KinKi Kidsとファンとで予定されていたイベントで、光一さんだけがそのステージに立っている映像だった。

ほんの数十秒だけど、なんかすごい温かい空間なのは伝わってきた。もう君以外愛せないを歌ってた・・・光一さんと、ファンとで、歌ってた・・・(ふと見てただけでしかも数十秒だったので中継で剛いるの分かんなかった)

KinKi Kids・・・良い・・・(でも落ちるのはこわい)

 

 

実写銀魂に剛くんが出るらしい。しかも原作ファンの間でもビジュがかなり好評と聞いた。どれいかほどか

美しい。

これは観るしかない。銀魂原作詳しくないけどこれは、良い。

観た。

やばい。

語彙では限界がある。どれくらいやばかったかと言うと高杉剛をもっと感じたくて銀魂全巻(当時70巻くらい)大人買いしてしまったレベルにやばかった。(しかしここまできても私はまだ「KinKi沼こわい・・・絶対ハマりたくない・・・」などとほざいていた。こわい。)

 

 

そして冬の大型音楽番組シーズンの到来。

ジャニオタにとってはHDD容量との死闘の時期。録画前にとりあえず番組出演者欄を確認。衝撃のあまり手に持っていたリモコンが宙を舞った。

『KiniKi Kids』

KiniKi Kidsって書いてある堂本光一じゃないKiniKi Kidsって書いてある

あれからまだ半年も経っていないのに・・・!剛くん・・・!

 

そしてその日はやってくる。

 

2017年12月6日。FNS歌謡祭。

KiniKi Kidsがいた。

歌っているのはDESTINY。この曲は初めて聴いただけどでも・・・KiniKi Kidsや・・・KiniKi Kidsはやっぱり二人でこそKiniKi KidsファンでもないのにおこがましいにもほどがあるがKiniKi Kidsはやはりこうでなければ・・・!(涙)

そしてその後歌ったのが名曲もう君以外愛せない。

全員知ってる。当たり前に知ってる。しかし私はこの時点でお恥ずかしいことにサビ以外の歌詞をよく知らなかった。そんなことはつゆ知らず光一さんは歌い出す。光一さんが歌い出す。そう光一さんが・・・歌うんやこの歌詞を・・・

 

「君が一瞬でもいなくなると僕は不安になるのさ」

 

死ねる。

 

いや分かってる別に何も意図してないことなんて分かってる。ただ私が勝手に重ねて死んでるだけ。あの時一人でステージに立っていたその背中はとても頼もしかった。強くて美しくて弱さなど微塵も見えなかっただけどそんなふうに見えた光一さんがこの歌詞を歌ったそこに意味を感じないわけがなかっただって私オタクだから・・・光一さんとファンで歌っていたあの空間はとても暖かくて素敵だったでも・・・やっぱり二人で歌うもう君以外愛せないが至高だった・・・

もう無理だ。

ここで私は落ちた。その日例のタグを死ぬほど漁って気付いたら朝になってた。大学の研究発表を3日後に控えていることなど忘れ動画を巡り死んだ。

この日が私の沼落ち記念日です。

 

そしてトドメはKinKi担お得意の新規勧誘。

これに信じられんくらい反応がきてびびった。

しかも皆さん大変お優しかった・・・

あらゆる沼で新規叩きにあってきた私の心に沁みまくった・・・

新規歓迎とか言いながら大抵の沼で変なマウント合戦や新規を煙たがる風潮は少なからずある。KiniKi沼、それが全くなかった(涙)。たぶん新規歓迎沼選手権で世界一位とれると思う。

 

皆さまのお力添えもあり、晴れて私はKiniKi沼へ。

私は再び戦士となった。もう腹をくくった。何も怖くない。深く推しを愛することの楽しさを思い出させてくれたのはKinKi Kidsだった。

ありがとうKinKi Kids・・・!

 

 

 

あれから2年。

推しを深く愛することが怖くなくなった私はいま、別の沼で大変忙しくしておりますが、それでもお二人を思う気持ちに変わりはありません。

 

私にとって12月6日は特別な日。

今度また、特別な日が増える。

何気ない12月15日という日が、私たちの記念日になることを嬉しく思います。